有給医のライフハック記録

医師の語る人生最適化戦略

東日本大震災を忘れない。当時の記憶を掘り起こす。

 

 

 

3.11の記憶

昨日、2021年3月11日でした。1日遅れになってしまいましたが、10年前のことを忘れないように、記録させていただきます。

 

10年という大きな節目であり、改めて当時の記憶を書き留めておこうと思った次第です。

 

震災直前

当時、浪人していた僕は大学の進学も無事に決まり、ある意味で開放された状況にありました。特にこれといってやることもなく、自分の部屋で寝っ転がっていました。震災前は、幸せな時期を過ごしていた覚えがあります。

 

やることと言えば部屋の整理整頓くらいでした。新年度に向けて、部屋のなかを綺麗にしていたのです。僕の部屋は汚く、そこかしこにモノが散らかっている状況でした。見るに見かねた両親に注意されて、部屋を綺麗にしていたのでした。

 

念のために申し添えておきますが、当時から都内の実家くらしでした。

 

 

午後2時46分 震災発生 

前述のとおり、片付けをしていました。近くに散らばっているモノを拾っては、区分けして棚に入れました。単純な作業の繰り返しでした。

 

そして当日の午後2時46分。

 

一通り片付けを終えた僕は、自分の机で休んでいました。すると突然、「ドドドドドドドドド」という音が足元から聞こえます。いままでの人生で聞いたこともないような音でした。地面の底の底から聞こえるような音、唸るような音です。とても人為的に出せる音ではありません。いまでも覚えています。

 

すると激しく下から突き上げられるような衝撃がありました。その後は、もう滅茶苦茶な横揺れです。滅茶苦茶でした。時計をみたわけではありませんが、かなりの時間揺れていました。

 

他の部屋にいた家族も、悲鳴を上げていました。

 

 

震災直後・・・

さきの地震によって、家中が滅茶苦茶な状態になりました。片付けで積み上げていたモノも、ほとんど床に落ちています。なかには、破損したモノもありました。

 

僕の住んでいたあたりの震度は5弱でした。とはいえ、離接している地域は震度5強だったりと、かなり強かったのです。

 

揺れが収まっても、まだ余震が続いていました。予断を許さない状況でした。

 

そしてテレビをつけて状況を把握。「とんでもない災害になっている・・・」と、テレビをみる足が震えました。津波の映像も放映され、家族全員で呆然とテレビ画面を見つめていました。

 

何ができるでもなく、ただ呆然とするほかありませんでした。予備校時代に知り合った、東北にいる友人・知人らに状況を確認しました。唐突にあわただしい時間が始まります。ただただ、人々の無事を祈る毎日でした。

 

当日とその数日後は、余震におびえつつ、家のなかで壊れているところがないか、確認する作業でした。

 

さすがの僕も、かなりナーバスになっていました。

 

 

最後に

改めて、この大震災で被害に遭われた方々へ、お見舞いとお悔やみを申し上げます。

 

 

語郎