有給医のライフハック記録

医師の語る人生最適化戦略

「学ぶ」という単語の危うさ

 

「学ぶ」こと

また唐突なネタですみません。

 

言葉の持つ力って、バカにならない。最近になって「学ぶ」という言葉の威力というか、効力というか。そんなところを感じ取っています。

 

一般的にはポジティブに使われることの多い動詞ですが、使う人の立場によってはすごく危険性を帯びているんじゃないか、と感じます。

 

勉強するために就職???

なんでこのようなことを言っているのか、と言いますと。研究者とか医者のインタビューとかで、やたらと「こういうスキルを学ぶために、ここに来ました」という文言を見たからなのですよね。就活した人のインタビューの記事とかでも、けっこうな頻度で「学ぶ」という単語が出現します。

 

個人的な違和感というか、「?」マークが脳ミソに浮かんでしまうんですよね、そういう発言を見ると。僕は。

 

いや、修行する課程といいますか、「学ぶ」姿勢は素晴らしいし、尊重されるものだと思います。姿勢そのものを否定する気は、まったくありません。

 

ですが、立場の弱い新社会人がうかつに「学ぶ」と言ってしまうと、おいおいロクな目に合わないんじゃないか、と。周りの人を観察するに、経験則上では確からしいのです。

 

使用者の気持ちになる

どうあっても新社会人は立場が弱い。そんな弱い人が「学ばせていただく」といったら、使用者(雇用者)はどう思うのか。「都合がいい人が来たな」と思うことでしょうね。多かれ少なかれ、操縦しやすい人材だと思うハズ。

 

「おー。そうか。学ばせてやる。勉強代は、給料から天引きしておくわ」ってのが、僕の業界ですと、普通に起こっています。ここまであからさまでなくても、なんとなく業界の相場より報酬を安くする、なんてのは造作もない話です。

 

普通に働くわけですので、発言するときには「働く」で良いんじゃないかしら。今日からは「学ぶ」禁止って、周りの友人に言いたいです。ぶっ飛ばされそうですけれど。

 

受動的な「学ぶ」

とんちみたいなツッコミですが、「学ぶ」と大っぴらに言うのが許されるのは、学生さんまでなのかな、と感じています。

 

そもそも、受動的な意味合いが強い動詞です。基本はinputのイメージですし、学習の材料は他人から仕入れることが多いでしょうし。あまりoutput方向をイメージしにくい。

 

かくいう僕も、「学ぶ」発言をうっかりしてしまい、立場が非常に危うくなったことがあります。これからは口がさけても人前では「学ぶ」を使わず、「働く」と言うようにします。

 

むすび 

「作る」とか、そういうoutput方向の意識へ切り替えるようにします。

 

まったく役に立たない日本語教室みたいになってしまいました。では。

 

語郎