有給医のライフハック記録

医師の語る人生最適化戦略

小山田圭吾氏のいじめ告白で思うこと。

 

 

炎上リレー

海外スタッフの麻薬持ち込み。競技場内での留学生スタッフによる強制性交。ザルの水際対策、バブル式。選手の逃亡。止まらない都内のコロナ流行。小山田圭吾。のぶみ。

 

文字に起こしただけでも完全にカオスです。開始前からスキャンダルまみれの東京五輪。カオス・オリンピック。お祓いでもいったほうが良いのでは、とガチで思います。

 

個人的に気になるのが小山田圭吾さん。ほかにもネタがつきない五輪ですが、ここはひとつ、私感を書きたいと思います。

 

 

概要

ファンの方には申し訳ありませんが、今回問題になるまで、小山田氏の存在を知りませんでした。

 

ことの概要はこうでした。1990年代の雑誌に、小山田氏がイジメ加害者側としてインタビューを受けていました。小山田氏が自身のやらかしたイジメを自慢げに語る、という胸糞悪い内容のインタビューでした。イジメの内容が過激であり、とくに障害者への暴行を自慢するような内容が下劣極まりない。「平和の式典に関わる人間として相応しくないのでは」との声がSNSで高まり、結果辞任に追い込まれた、と。

 

思うところ

小山田氏のファンでも何でもないです。良くも悪くも、彼に全く興味ないので。単純に思うところだけ。

 

当該記事について

まあ、ちょっとイジメの話を盛った可能性はありますね。記事自体が悪ノリしていて、本人も勢いづいてしまった可能性はあります。それでも加害者だったことは事実でしょうし。

「記事が書かれた当時の時代背景も悪かった」として彼を擁護する声もありました。分からんでもないロジックですが、ちょっと弱い。ゲスい発言をしてインタビューに応じたのは彼本人ですからね。自分のお口には責任を持たないとね。

 

SNS拡散の怖さ

どんなに芸術性や音楽性で評価されていたとしても、「消せない罪」があると一気に断罪される。現在の立場や作品にもケチがついてしまう。SNS拡散の恐ろしさですよね。有名人や成功した人でも、簡単に足元をすくわれるんです。

インターネット文化が大衆化する前の時代には、考えにくかった拡散経路だと思います。近所のコミュニティーの井戸端会議では、ここまでの拡散には至らないでしょう。

 

ジャッジの曖昧さ

今回はイジメが論点でした。上のSNSの話と被りますが、こういった「不祥事と進退」についての世論は極めて感情的に決まります。今回の辞任も、べつに法律に則ったジャッジではありません。「SNSや世論なんざ知ったこっちゃねぇ!過去に謝ったもん。俺はやる!」と小山田氏が言っても、法的には全然アリ。違法でも何でもない。ここがキモであり、問題の出発点でもあると思います。

 

なんといってもジャッジが曖昧なのですよね。イジメの時点でアウトなら、ほかの出演者は果たして大丈夫なのか。ほかの人らは完全に潔白で、生涯に汚点がないのか。そこまで考えないと不平等ですし、不祥事を裁ききれていません。程度にもよりますが、イジメで「即退場」となると結構な量のコンテンツが「お蔵入り」になってると思いますけどね。いや別にイジメを肯定しているわけではなくて、ね。

 

 

派生する疑問、どこまで私刑するのか。

・じゃあ彼の他の楽曲は? やっぱり配信停止にすべきなのか?

・五輪の辞退どころじゃなくて、芸能界から居なくなるべきでは?

・タイアップしていた企業も裁かれるべきでは?

・そもそも冒頭に挙げたようなスキャンダルまみれの五輪という「コンテンツ」だって、やっぱり停止すべきでは?

 

こんな風に規模が拡大しかねない。こうやって広げすぎるとワケが分かりません。

 

「イジメをやらかした人の楽曲は封印すべき。被害者の気持ちを考えれば当然。償っていないから」というロジックが出たとき。一見して過剰な言論統制の気もしますが、一方で心情的には理解できてしまう。

 

僕のショボい脳ではこのロジックの矛盾を指摘できないのです。聡明な読者様がいれば、その「理」の根拠をご教授くださると幸いです。

 

 

五輪ヘイトの矛先なのか

結局、五輪へのヘイトなんじゃないのか、って。まともに説明されないまま強行に開催しようとしているわけで。

 

国民の協力がないままですので、不満に思ったネット民が炎上させている、って絵だと思います。

 

たたけば埃は出るもの。この炎上はヘイトの裏返しなのだと考えますが、如何でしょうか?

 

語郎